「酒離れ」「ビール離れ」の何が悪いのか、についてビールを飲みながら
ビール離れできていない私です。
また好物のネタが記事になっていたので、またこちらでも所感を書いておきたいと思います。好物のネタとはこちらです。
「若者の酒離れ」についての記事。タイトルに「本当の理由とは?」とあるものの、目新しい話は特にありません。全体的な方向性としてはまあ理解できなくはないですが。
重箱の隅をつつく感じもありますが、気になったところをツイートしてみたり(他の気になる点はこの記事を最後までご一読ください)。
若者が低所得というのは理由のひとつだと思う。が、ビールの税率が他の酒に比べて高いというのは「酒離れ」の要因として論理がおかしい。それを論じるなら「ビール離れ」だろう。
— 富江弘幸|物書き(ビール)📪 (@hiroyukitomie) 2018年9月23日
「若者の酒離れ」、本当の理由とは?〈週刊朝日〉(AERA dot.) - Yahoo!ニュース https://t.co/GJMcOATB5Y
ということで、今回も「酒離れ」「ビール離れ」について書きたいと思います。過去記事もご参照ください↓
今回の記事で言いたいこと
前提として、今日は(今日も)ビールを飲みながら書いています。なので、居酒屋でおっさんが飲みながらなんか話してる、的な感じで読んでいただければ。本人は至って真面目ですが。
まず、ここで言いたいことというか結論的なものを2点書いておきます。ひとつは、文化は変化していくということ。守るべきは守るという考え方は理解できるものの、変化を恐れてはいけない。
もうひとつは、「酒離れ」「ビール離れ」も結構なことではないか、ということ。酒のことだけ考えたら残念なことだけど、世の中全体として考えたら結構なことかもしれない、という話です。
文化は変化していく
まず、文化の話。
文化や考え方、価値観なんてすぐに変化していきますからね。いま自分たちが「こうあるべき」と考えているものは、たかだか数十年で構築された考え方です。大雑把に言うと。
極端な例を出すと、人を殺してはいけない、なんて価値観は人類の歴史からしたらつい最近の話なわけです。日本では、江戸時代に水戸黄門こと徳川光圀でさえ、刀の試し切りをするためだけに町中で一般人を切り捨てていたらしいですからね。たかだか200年くらいでがらりと考え方が変わっているんですな。
そこで、上記「「若者の酒離れ」、本当の理由とは?〈週刊朝日〉(AERA dot.) - Yahoo!ニュース」の記事最後の文章を引用しますが、
「酒文化を守るためには、やはり若者の貧困化を防ぐことが基本です。いまは、80年代の酎ハイブームのように、お洒落だけど安く飲めるお酒が見当たりません。アルコール飲料メーカーには、貧困層の若者のニーズにも応えるような企業努力が求められます」
人々の精神に癒やしを与えてきた「酒文化・居酒屋文化」を衰退させないためにも、すべての階層の若者に支持される酒が必要なのだ。
この意見に賛成できるかというと全く賛成できないのです。
酒文化って一体なんなのか。
単に昔の人のノスタルジーで語っているだけだと思ってます。上記記事でいう酒文化なんて、多めに遡って150年程度ですよ。明治維新以降です。江戸時代以前の酒文化を変えた「酒文化」を守るってどういう意味かと思いますね。守らないといけない理由ってなんでしょうね。
とはいえ、ノスタルジーもわからないでもありません。自分が経験してきたことが過去になること、その過去を思い出すとある種の切ない感情が芽生えること。まあわからんでもないですが、それをこれから生きていく人に押し付ける意味はよくわからんのです。
今の文化は過去の文化を多少は踏まえつつも、過去を塗り替えてきたものだと思うんですよね。
この多様性の時代に「すべての階層の若者に支持される酒が必要なのだ」って、申し訳ないですが、笑ってしまいますな。
「酒離れ」「ビール離れ」の何が悪いのか
そして、「酒離れ」「ビール離れ」は結構なことだという話。
誤解のないように、個人的な感情を含めて前提を書いておくと、自分としてはあまり結構なことではないのです。ビール専門ライターなんてことをやっているのも、ビールが好きだからですし、できるだけ多くの人にビールのおいしさや楽しさを知ってほしいと思うからなのです。「みんなビール飲んでみて……」と思ったりしてます。はい。
が、それはあくまでも個人的な感情の話。
世の中からすれば、「酒離れ」「ビール離れ」は結構なことなんじゃないかなとも思うのです。まあ、アルコール飲料関連で働いている方々はそうは思えないかもしれませんけどね。
では、酒から離れた人たちはどこに行ったのか。酒から離れて、何か拠り所にすることがあるのか。
いや、拠り所はどこにもないんだと思いますね。
酒、ビールに限らず、離れていると言われているものはいくつもあります。車、家、活字、テレビ、結婚、ついには金離れなんてことも言われていたり。
いろいろなことから離れた結果、どこに行くかというとインターネットだという話もありますが、いろいろ離れた分だけインターネットに行ったわけではないですからね。インターネットを使ったものの中にもいろいろありますし。また、酒から離れて車に行ったという人もいるかもしれません。
つまり、どういうことかというと、多様化です。生きていく上での選択肢が増えたということ。以前もツイートしましたが、こういうこと。
「◯◯離れ」の見方を変えれば、他の選択肢に移っているとも考えられるので、あるジャンルでの(もしくは多ジャンルでの)多様性が増しているということ。
— 富江弘幸|物書き(ビール)📪 (@hiroyukitomie) July 12, 2018
個人的には、「◯◯離れ」よりも「嗜好(選択肢)の多様化」と好意的に捉えたい。
まとめ
ここまでビールを飲みながら、40分くらいかけて書いています。それなりに酔ってきた感じもありますので、ちょっと支離滅裂な文章もあったかもしれません。が、ここで書いていることの根本は記事内で一貫していると思っています。
その上で思うことは、変化を恐れないほうがいいということ。いまは過去からの変化の産物であり、過去が本当にいいものであれば、それは今後も評価される。評価されないものはその時代だけのものだった、ということなのではないかと。
「酒離れ」「ビール離れ」、結構なんじゃないでしょうか。それは文化が変化してきているということですし、本当に大切な酒や酒文化は自然と残っていくはずです。
というところで、思考能力もそろそろ力が尽きそうです。残り少ない琥珀ヱビスを飲みながら、ダラダラとTwitterを見て夜更かししたいと思います。
私からは以上です。本日はありがとうございました。