ビール時報

富江弘幸(ビールライター)公式サイト

自分の人生が最高やったらええんやな、と

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夜にやる気が出る私です。

今年は文章力を回復させるために、書きまくろうと心に決めました。とはいえ、回復を待っているほど自分の人生に時間は残されていないとも思ったりするわけです。

もちろん、余命何カ月というような状態ではなく、一応健康ではありますが、もう40歳を過ぎたということを考えると、人生は折り返しに入っているわけです。100歳くらいまで生きるにしたって、元気に動ける年齢ではないですからね。

子どもが産まれてからは、より自分の死と残された時間を意識するようになりました。子どものために生きる時間と自分のために生きる時間。その他のための時間も必要です。それらを考えると、残された時間はかなり少ない。

30代半ばくらいまでは、自分から行動するタイプではありませんでした。30歳手前で留学したことくらいですかね、自分から行動したと思えるのは。

でも、30代半ばを過ぎると、自分から行動するように意識して変えてきました。どうにかして自分を変えたかったのかもしれませんが、それは人生の残り時間が少なくなってきたと感じてきて、このままでは何もせずに人生が終わってしまうという危機感が芽生えてきたからだと思います。

そこからいろいろ行動してきて、著書も出せるようになったので少しずつ変わってきたんだと思うのですが、まだ変わっていない部分があるんです。一番変えたいところなんですけどね。

それは、人の目を気にするところ。

他人に悪い印象を与えたくない、とか、悪口は言われたくない、とか、そういうことです。まあ、良い印象であることに越したことはないんですが、人の目を気にしすぎて、行動に制限がかかっていた部分があるんです。

で、ちょっと前にTwitterをぼーっと見てたら、こんな言葉が流れてきましたのを思い出しました。

他人が何を言おうと、それでおまえの人生が、最高やったら、ええやん。

誰の言葉かというと、辰吉丈一郎です(ウラはとっていないので、もしかしたら言っていないかもしれませんが、それはここでは重要ではありません)。正直言って、全盛期の頃は嫌いなタイプでしたが、ここ数年、自分の中では評価を上げてきている人物です。

彼のビッグマウスが大嫌いだったのですが、それは置いておいても、何かをつきつめて切り開いていこうというのはカッコいいなと思うようになってきたわけですね。大嫌いだったというのは、自分がそっち側の意識を持っていなかったというだけで、いま少しずつではありますが、そっち側の意識(簡単に言うと自分から行動していくという意識)を持てるようになってくると、断然カッコよく見えるのです。

そこで、今日上記の言葉を目にしたので、ああ、そうだな、と。自分の人生が最高やったらええんやな、と。

最高にするためにはどうするか。

書きましょう。