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あの日、僕も旅に出た

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バックパッカーの私です。

突然ですが、Facebookで投稿した文章をここで再掲したいと思います。一応、記録としてここで残しておこうかと。

蔵前仁一さんの『あの日、僕は旅に出た』という本を読んだ時の文章です。

たまたま書店で同書が文庫になっているのを発見して、こんな文章を書いたことを思い出したので。最近読んだと思っていたのに、あれからもう3年半経つのかという感じです。

その間、著書を出版したり、いろいろなメディアで記事を書いたりするようになったけど、まだまだ蔵前さんは遠いところにいるような気がする。いろいろな意味で。

もう一度読みなおしてみようかね。

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(以下、2013年7月執筆)

あの日、僕は旅に出た

久しぶりに蔵前仁一さんの本(『あの日、僕は旅に出た』)が出たので買ってみた。『旅行人』が休刊になってもう1年半。蔵前さんの新刊も久しぶりのような気がする。

『旅行人』は蔵前さんが主宰していた旅行情報誌。同人誌といってもいい。薄っぺらい中綴じの冊子に、お年寄りには読めないくらいの小さい文字で情報がいっぱいつまっていた。僕が20代前半の頃は、インターネットはそれなりに普及していたが、それでも『旅行人』の細かな情報にはかなわなかった。そんな『旅行人』を隅から隅まで読んでいたせいか、アジアの国境情報やビザ情報は完璧に頭に入っていた。

沢木耕太郎とともに、蔵前さんが20代の僕に大きな影響を与えていたのは間違いない。彼らの旅に憧れてユーラシア横断を夢見たが、結局夢で終わった。まだ人生は終わっていないのだから正確には「夢で終わった」とも言えないのだが、「冷めてしまった」とでも言おうか。

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20代のうちにユーラシア横断をしたいと思っていたが、諸事情によりそれはできなかった。その代わりというわけではないが、20代の終わりに四川省成都に語学留学した。バックパックひとつで留学したので、最初は旅という意識が強かったが、徐々にそれが生活へと変わっていった。かなり充実した1年だったと思う。留学した時期・場所・出会った人、すべてが自分にとってベストだった。

成都での留学が終わったとき、卒業旅行のつもりで新疆ウイグル自治区ウルムチまで飛んだ。そこからトルファン敦煌西安・北京・天津と、鉄道で中国を横断し、天津からは船で神戸まで渡った。ユーラシア横断の一部を逆にたどってみようと思ったのだ。

しかし、この旅ほど「落ちた」旅はなかった。成都ウルムチから離れれば離れるほど、気持ちが落ちていった。トルファンの砂漠も、敦煌莫高窟も、北京や天津での人とのふれあいも、まったく心に響いてこなかった。今から考えれば、それは旅ではなかったのかもしれない。日本に戻るまでに、成都での思い出と気持ちを整理するためのモラトリアムだった。

そして、その間に思ってしまったのだ。いくら旅でいい出会いや楽しいことがあっても、現地の人たちと生活することにはかなわない、と。

そう思ったのは気持ちが落ちていったときだったからだろう。今もそう思っているわけではない。旅には旅の、生活には生活の楽しさがあり魅力がある。なので、今でも旅は好きだ。しかし、バックパッカー的「旅」に対する思いは戻ってこなかった。それ以来バックパッカーにはなっていないし、5ドルの宿よりも4ドルの宿がいいとも思わなくなった。もうアジアの国境情報も頭に入っていない。

冷めてしまったのだ。

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この本は蔵前さんが初めてインドに出たときから、『旅行人』が休刊になるまでを振り返って書いている。『旅行人』はインターネットが普及してきたせいか、徐々に部数が減り、発行も月刊から季刊、季刊から年2回刊と縮小していった。偶然だが、それは僕が「旅」に対して冷めていった時期でもある。

そして、『旅行人』が休刊したとき、僕のユーラシア横断を夢見るような「旅」が完全に終わったような気がした。夢が夢になった瞬間だ。

その夢を見させてくれた人が、夢を思い出させるような本を出した。たぶん、今日は眠れない。

 

あの日、僕は旅に出た (幻冬舎文庫)

あの日、僕は旅に出た (幻冬舎文庫)