ビール時報

富江弘幸(ビールライター)公式サイト

職業として書くことのルーツ

この記事をシェアする

もの書きのはしくれの私です。

文章を書くことを仕事にして、15年ほど経ちます。

その15年ほど前にライターとして初めて所属した会社の社長が、2016年10月に亡くなりました。その当時は15年後にライターをやって著書も出しているとは思いもしなかったのですが、死ぬまでずっと何かしら書いているだろうとはその頃から思っていました。今でもそれは変わりません。

亡くなったという話を聞いたのは11月。その時のツイートを残しておこうと思います。

自分が最初に勤めた編プロの社長が先月亡くなった、という情報が入ってきた。自分の編集・執筆歴は、その編プロから始まるわけで、その編プロに勤めていなかったら今の自分もないわけで、社長には感謝するばかり。合掌。
2016年11月7日 12:58

編集未経験の自分を雇ってくれた理由を聞いてみたことがある。「(書類審査用に提出した)文章がうまかったからだ」とシンプルに言われたことが忘れられない。その頃からどれくらい文章力を上げられたかわからないが、まだまだなのは自分でもよくわかっている。
2016年11月7日 12:58

その編プロは、もう会社をたたんだという。自分の中でひとつの区切りがついたような気もする。仕事は今年が最後にしたい、というツイートをしておいてアレだが、まだ仕事はしないといけないんだなあ、と思ったり。前向きな意味で。
2016年11月7日 12:59

初めて就職した会社ということもあり、体力的にもキツい仕事場だったこともあり、2年間というそれほど長くはない期間でしたが、思い出そうと思えばいくらでも当時のことが蘇ってきます。

初めての取材は、◯◯新聞社の雑誌に掲載する記事を書くために、商店街の店にアポなしでインタビューするというものでした。

「あの〜すみません、◯◯新聞社の…」
「新聞? いらねーよ!」

同行した先輩ライターが後ろでクスクス笑っていて恥ずかしいことこの上ない。これ以降、僕は取材が嫌いになりました。

家に帰る余裕がなく社内で校正をしている深夜、同僚と社長室に忍び込み、社長のジャケットを着てそれっぽく写真を撮ったことも。ごくまれに社長が深夜やってくることもあったので、ドキドキしながら机に座って社長を演じるわけです。仕事よりもそっちのほうが楽しかったりして。仕事は小人さんがなんとかしてくれました。

入社1週間ほどで社員全員を集めたミーティングがあり、先輩社員が逃亡したという話を聞かされたこともあります。今思えばあの会社はブラックだったのかもしれないですが、当時の自分にも世の中にもそんな概念はありませんでした。ある意味いい時代だったのかもしれません。

なんてことがあって、いまビアライターをやっている自分がいます。