ビール時報

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四十でもまだまだ惑う

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年に何回か考えることがある私です。

果たして、自分は他者から何かを期待されているんだろうか? 自分は必要とされている人間なんだろうか? なんてことをよく考えるわけです。まあ自意識過剰な人間が考えることで、普通の人はこういうことを考えても、繰り返し何度も悩んだりはしないと思いますが。

とはいえ、ずっとそれで悩んでいるわけではなく、考える度にいつも同じ答えを自分なりに導き出してはいます。それは、いまやれることを一生懸命やるしかない、ということ。

ここ最近は考えていなかったけど、伊集院光氏の2016日8月23日のブログにこんなことが書いてあったせいで、また考えてしまったんですよね…。自分なりの答えは同じなのに。

 今日の「伊集院光とらじおと」のゲスト

田中真弓さんのお話。

最近常々思っていて
他のゲストともちょいちょいその話題になる

人生は自分の希望通りにならない
他社(原文ママ)が自分に何を希望するか

って話。

 「伊集院光とらじおと」は、ちょうど電車に乗っている8時半から9時半まで聞いている(毎週月曜日から木曜日)。ただ、ゲストが登場する10時はラジオが聞けない時間帯なので、その田中真弓氏とのトークも聞いていませんでした(もうタイムフリーでも聞けないし…)。

なので、田中真弓氏はもともと女優志望だったのに声優の道に入ることになってしまい、最終的には舞台と声優の仕事が重なったときに声優の仕事を選んだ、という話はこの伊集院光氏のブログで知ったわけです(田中真弓氏じゃないパズーは想像できない)。

他者から求められた仕事を一生懸命やった結果、自分が最終的にその仕事を選んだということらしいんですよね。本田圭佑イチローのように、子どもの頃からの夢を実現させるのもカッコいいんですけど、こんなプロフェッショナルもまたカッコいい。

それに比べて自分は…とか、他者から求められているんだろうか…とか思うわけだけど、まあやっぱり結局いまやれることを一生懸命やるしかない、という結論に至るんです。まあ、結局今回の答えも同じことでした。そしてまた数カ月後くらいに同じことを考えるんだろうなと。

そう思いながら、「四十にして惑わず」なんてありゃあ嘘だな、と思いながらIPAを飲んでいると、その強力な苦味でガツン! と殴られたような気がします。アラフォーからモロフォーになって、しかもモロフォーからもだんだん遠ざかっていっているので、もうあまり惑いたくはないのだけれど。

惑うんだろうなあ。